娘5歳を前に父子家庭生活を振り返る【子育て編】
[最終更新日]2017/07/30
ざっくり言うと
- 子育ては何歳になっても楽にならない。
- 年齢ごとに新しい「やんちゃ」が出てくる。
- 子供は「親と一緒」が一番の望み。
- 「色んな所へ、思い出を」は大人の有難迷惑だと思う。
- 守るべきものがあるという幸せは何にも代えがたい。
子育ては何歳になっても楽にはならないと思った。
これは最近になって思いました。
- 0歳の時は3時間ごとの授乳で大変だった。
- 1歳の時は何でも口にするし、目を離したら何してるかわからないので大変だった。
- 2歳の時は少しずつ自我がはっきりしてきて、何かと大変だった。
- 3歳の時は自分で何でもしたがって大変だった。
- 4歳の時はじゃりン子チエみたいになってきて大変だった。
0歳の時に大変だった事は成長と共に解決していきます。
でも、次の1歳ならではの大変な何かが芽を出してきます。
そして2歳になると1歳の大変さは薄れ、新たな2歳ならではの大変さが芽を出します。
結局、毎年大変でした。
その年齢ごとに、色んな特徴が出てきては大人を困らせたり振り回します。
子育てはいつまで経っても楽にならないものなんじゃないかなと今は思います。
あ、でも0歳の授乳完徹マラソンに比べたら可愛いものですよw
あれを超える大変は人生でもそうそう無いんじゃないかな。
子供には「親と一緒」が最上級のイベントだと思った。
これは保育園や幼稚園に子供を通わせている父子家庭の皆さんに言いたい。
段々と「週末は○○行ってきたー」といった話が出始めると思います。
それに合わせる形で、そういった予定を組む父子家庭も多いと思います。
「うちも連れて行ってあげないと」
みたいな感じで。
でも、子供が一番喜ぶのは「親が自分と一緒に何かをしてくれる」事です。
これは僕は断言する。絶対にそう。
東京ディズニーランドに二人で行くのも、家で一緒にピザを作っているのも、子供には同列です。※ここで綺麗にピザを作ることに拘ったらダメだけど。
そもそも、楽しいポイントが「場所」じゃないんです。
親と一緒にピザのプランを立て、一緒に材料を買いに行き、そこで休憩がてらアイスクリームをシェアしたり、帰ってきてから一緒に材料をカットして生地を用意してと。
ピザを作るという目的よりも、そこまでの過程をパパと一緒に、それも対等の立場で楽しむのが子供は幸せなんです。
- 生地がグチャグチャでもいい。
- どうみても水分が多過ぎでもいい。
- 野菜のカットが大雑把でもいい。
- チーズの載せ方が歪でもいい。
パパはそっちに拘る傾向がありますが、そっちはどうでもいいんです。
グチャグチャのピザを二人で揶揄いながら食べるのも、また子供は最高に幸せなんです。
ピザじゃなくても何でもいいですし。
週末の思い出なんて、大人の勝手な理屈だと思います。
というか広告の刷り込みなんじゃないの?
子供は生活の全てをイベントに変えてしまう魔法使いみたいなもの。
そして「パパ参戦」というのはイベントにおける最高のオプションだと理解するべきです。
ただし、見てるだけは駄目ですよ。
子供の目線に降りて楽しもう。
ここ超大切です。
子供の目線まで降りて、一緒に参加するのが大切なんです。
これは本当に何度も何度も感じさせれたポイントです。
行楽地が駄目なんじゃないですよ。
娘は行楽地に行っても楽しみます。
でも、行楽地で僕と一緒に乗り物乗っても、家で二人で薪割りしていても、
娘にとっての「楽しい」度合いは同じなんです。
しつこいですが、「場所」じゃなくて「誰と」が子供には大切なんです。
守るべきものがあるという幸せは何にも代えがたい。
これは娘に感謝するしかない。
僕の生きる気力は殆どが娘の存在から湧き出てる。
別に世の中に冷めた世捨て人ではないですけど、娘の存在が僕の中で余りに大きい。
自分の人生をどう生きるかよりも、娘の為に自分の人生を使えるのが実にハッピーです。
「守るべきものがいる」ってこんな気持ちになれるのかと本当に驚いた。
ただ、この気持ちが娘に強過ぎて、本来は奥さんと娘に向かうべきものが100%娘に向いてしまったのは僕も反省すべき点だったなと思います。
もう僕はそれくらい娘命になってしまいました。