【不登校伝記(1年3学期):序章】行き渋り再発『前編』
[最終更新日]2021/03/21
行き渋りが僅か2日で終わった娘。でもそれで終わりではありませんでした。
理由は簡単です。「案外復帰が早かったな」と勝手に問題解決したと僕が判断をしていたから。娘は問題解決したわけじゃありません。ただガス抜きができて心に余裕が生まれただけだったのです。
その時、自分なりに分析をしていた
娘の行き渋り事件後、何が原因だったのかと自分なりに分析をしていました。色んな角度で色んな事を考えましたが、娘に起こっていた大きな環境変化が1つだけあります。
祖父母が海外旅行中だった
身近な存在が長期不在となっていたのです。娘が行き渋りを始めたのは出発してから3日後。娘は「ジジババが帰ってこない、おかしい」と勘違いをしたのかもしれない。それ以外に思い当たるものが本当に無かった。
「環境変化が原因だったのかな」と納得し、それが「ただの引き金に過ぎない」とは思わず自己完結してしまったのです。
半年後、「やつ」が帰ってきた
娘初の学校行き渋り事件から約半年間。娘は何事も無かったかの様に学校に通っていました。登校班にも復帰し、学童にも普通に行ってました。
やれやれ
無事に3学期を迎えてもうすぐ2年生なんだなぁ、色々あったなぁと勝手に反芻していた時に「やつ」が戻ってきた。
3学期も終盤に向かおうとしている2月の半ばの事でした
二度と出会いたくないあの空気
流石に経験者です。もう一瞬で理解しました。
学校を拒否している
ただ、1年生も終わりが見えています。ここで休ませるべきか否か。迷った挙句に今回は対応を変えてみる事にしました。
何故か?
ネットやママ友、先生からも良く聞いていた「休み癖」を心配したからです。
今ならわかる。
「完全に的外れ」だったと。
「もうすぐ冬休みだから」と折れなかった
娘の絶対拒否の空気に対して僕は淡々と伝えた。
- 好き勝手に休んでいい訳じゃない
- 学校に行って友達と遊ぶのが仕事
- 冬休みも近いんだから
まぁ、良くある正論的なものを伝えた訳ですが、これは下の下です。これで反応する子供がいるなら僕はお目に掛かりたい。
・・・・・・・
当然娘は無反応でした。
休ませた方がいいんじゃないか?この空気は余りに重過ぎる。行かせた所で意味があるとも思えない。
だが同時に多くの人に言われた言葉が頭をよぎる
休ませたら癖になるよ
その分水嶺が今だというのか?どうしよう。
迷った僕は今回は折れない選択をした。
僕が折れなかった理由
基本的に学校は絶対ではない、自分自身も学校は窮屈で苦手だった事もあり「嫌なら休めばいい」と思っていたものの、少し不安になる要素もありました。
それは正に学校で働いている教師友達からのアドバイス。
- 「あ~それね、親を試してるんだよ」
- 「そこは絶対に折れちゃ駄目」
- 「子供は味を占めるよ」
え?そうなの?
学校に行く行かないは比較的どうでも良いが、親子の関係性が上下入れ替わるのはマズイ。今がその分水嶺ならここは譲ってはいけない場面なのかも。
そう思ったのです。
大馬鹿野郎と言いたい
これも大失敗でした。娘は試してる訳ではなく僕にしっかり「伝えていた」だけなのです。自分自身が感じた事を素直に。
娘との信頼関係をもっと信じるべきでした。娘は何も悪くない。
判断と選択を誤ったのは私である。
強硬手段に出た
僕はこの時、初めて強硬手段を取りました。譲らないという姿勢を見せる事も大切かと思ったからです。
- 取り敢えず連れていく
- 学校に行けば何とかなるんじゃないか?
- 僕は素人、教師はプロだ
集めた情報で良く目にしたのが「学校に行けば変わる、先生はプロなんだから」というもの。確かに子育て1年生の僕がどうこう考えるより、こういったケースも経験しているであろう先生に任せた方がいいのかもしれない。保育園の時だってそうだった。泣き叫ぶ娘を手慣れた様子でなだめ、気付けば馴染んでいた娘。
それの再来なのかも。
そこで、学校に連れていき先生に娘を託すという形を選択した。娘は先生に引き渡す時は大号泣、しかし僕と離れて5分後には教室へ入り普通に授業を受けて後はいつも通り。学童までしっかり行って「何でもっと遅くに迎えに来てくれないの!」と後に残る友達を心配する始末。
寝起きのエンジンの問題なのかな
その時の僕はそんな判断をしていたと思います。
大馬鹿野郎
何という甘い判断だったのか。そして何という他力本願。仕事もあるしここは学校に任せようという姿勢。これでは何も解決する訳がありません。そして実際何も解決しませんでした。
それどころか問題がドンドン悪化していく始末です。
日に日に状況が悪化していく
登校班は諦め、車で学校に送りそこで先生に引き渡す。娘は最初は愚図るが直に落ち着いて教室へ合流。そこからはケロッといつも通り。この状況が段々とこなれて良い方向になっていくのだろう。そんな期待は1週間で砕かれました。
先生に引き渡した後の愚図りが徐々に悪化していったのです。引き渡しまでの愚図りが無くなり「今日は学校で〇〇ちゃんと遊ぶ」といった前向きな発言が出ていたので安心しきっていました。引き渡し後も安定しているんだろうと勝手に安心していたのです。
逆でした。
教室に入るのを嫌がり、先生を嫌がり、最後は入り口でずっと座る様になっていたそうです。
なん・・だと・・・
流石に僕も気付きます。何かがおかしい。学校がどうこうだけの問題ではない気がする。
問題の深さを何となしに自覚した瞬間でした。でもその一方でこうも思っていました。「願わくばそうではない事を祈る」と。
これが親のご都合主義である。
読んでいる皆さん、遠慮なく言って下さい。
この大馬鹿野郎が!と。
【振り返り追記】今ならわかる悪化の原因
娘が悪化していった理由は「学校に任せる」と僕が決めて行動し始めたからだと思います。
要は「任せると決めた=それ以上考える事を放棄した」訳で、娘を学校に送る事が「作業化」したのです。
僕の意識が自分から離れ、仕事に向き出したことを感じた娘はどんどん孤独感を強めたのだと思います。
「送られる」ではなく「押し込められる」と感じたのではないでしょうか。
>>次は「行き渋り再発【3学期末】後編」