【保護者会伝記:2章】皆、それぞれの場所で向き合っている
[最終更新日]2021/03/21
僕が感じた事
不登校と正に今向き合っている保護者の集まり。そこに参加して僕が感じた事をまとめます。
1.親が疲れ果てている
一番初めに感じたのはこれ。ママが皆疲れています。表情もそうだし気持ちが前を向くというより停滞している感じ。出口が見えない状態で悩んでいるんだろうなと想像がつきます。
聞いていると結構単身赴任やご主人が多忙で夜が遅いなど、単独で向き合わざるを得ない状況にある人が多かったと思う。後、ご主人が「子育てはお前担当だ」というスタンスとか。
未だにそういうのあるんだ
親の疲弊が後か先かはわからないが、親はやっぱり笑顔で元気な空気をまとった方が良いと思いました。
2.まだ、受け入れられない人もいる
親は子の為を思ってあれこれと手を打った。でも、臨んだ結果が出なかった場合はその落胆と怒りの矛先を誰に向けて良いのかわからず、ただただ疲弊しています。自分を責めている人も多い。
目の前の現実を受け入れられず、戸惑っている人もいます。今なお足元がぐらついている。
何処かで「我が子は不登校なんだ」と受け入れる事が必要なんだろうなと思います。親が受け入れていないと問題解決のスタートラインにすら立てないのですから。
3.「信じて待つ」という受け身型の人が多かった
これが我が家との決定的な違いでした。不登校が始まってから、親は「学校に戻る」為の方策を色々と試しているものの、子供の「成長を促す」為に何かをしているケースは無かったと思う。
「学校に戻る」
この1点に意識が集約されている感じです。
その為、最終的には多くの親が「見守る」「登校を急かさない」という対応に落ち着き、様子見だというケースが多い。それだと長期化するのではないかと個人的に感じました。「待ち」の姿勢が多いのです。
僕は学校に行かない間は「学校ではできない事」をドンドンして人間としての成長を促してあげる方が良いと思います。
世界はとてつもなく広いのですから。
4.親もまた視野狭窄に陥っている
我が子が不登校になった時、親が「再登校」に縛られるケースが多いと感じます。どうしても「自宅」と「学校」という小さな世界しか見えなくなっている人が多い。「学校に行く事に拘らない」より「学校自体に拘らない」になれば良いと思う。
学校はそんな御大層な場所じゃありません。ただ、社会的に選択肢が無いから仕方なく通っているだけで。公的に他の選択肢があるなら僕は喜んでそっちを選びます。
とはいえ、娘が復帰している自分が言っても説得力には欠ける。。。。
5.孤独を和らげる場所は重要だ
僕が参加した保護者の集まりは「解決策ではなく安心を得る」事を第一にしていると感じました。これは独りで子供と向き合っている保護者には必要な場所です。孤独は心を壊す。気持ちに余裕が生まれないと子供に対して優しい気持ちは持てません。
独りで向き合って乗り越えられる程、生易しい問題ではありません。それは親だけでなく子供にとっても同様です。一番の孤独に苦しんでいるのは子供なのです。その子供の理解者・受け皿となるべく、保護者は「自分自身の」心の拠り所を外に作っておいた方が良いです。
その為にもこういう場所は重要な役割を果たすと僕は思いました。
>>次は「僕はどうして乗り越えられたのか」