【不登校伝記(2年3学期):序章】いきなり躓いた!
[最終更新日]2021/03/21
遂にやってきた2年生最後の学期。
娘には「3学期から完全復帰をすればいい」と2学期は時々授業を抜けさせていました。
その一方、抜ける予定の授業が急な変更になった時は普通に娘は授業に出ていました。
この調子ならいけるかな。
そんな期待を抱いた3学期の幕開けです。
【結論】駄目だった
結論から言うと「駄目」でした。
いきなりかい!
流石にここまで来ると多少の事では動じません。冷静でいれます。正直「そうなるんじゃないかな」とも思っていました。
僕はここで断言したい。
親としての直感は信じていい!
決して後ろ向きなものではない。
復帰失敗といっても「ネガティブ」なものではありません。娘はとにかく「縛り」を嫌がります。2学期に順調に復帰できていたのは「抜けてもいい」という気持ちの余裕があったからです。
「抜けてもいい」状態だからこそ「抜けずに頑張る」ができる。それが2学期でした。
その「抜けてもいい」が無くなった3学期。「全部出ないといけない」という前提・義務感が娘には息苦しかったのでしょう。気持ちに余裕がなくなったという事。
ここまでは想定内。
ここからだ、踏ん張れラブリー
僕が心配していたのは、ここで「折れる」事です。そうなると何も成長していない。ここで「行けない事」に罪悪感を感じるのではなく、向き合えるかどうか。
- 何故、怖くなったのか?
- 何が原因か?
- どうすれば行けるか?
問題と向き合い、解決する事。それができるかどうかです。2学期の間ずっとそれを伝えて実際に見せてきました。「小さい事は気にするな。問題はそこからどう行動するかだ」と。
周囲は辛口総攻撃
ちなみにこの出だしズッコケを祖父母とママ友はこう評価してくれました。
アンタが甘やかしたからやー!
もう通常復帰は難しいんじゃない?
HSC?発達障害あるんちゃう?
余りに予想通りの言葉だったので、預言者になれそうな気がした。
特にHSC,発達障害、グレーゾーン、発達の凸凹、定型発達か否か、ギフテッドチャイルドについてはママ友から腐る程聞かされた。
書籍も腐る程読んだ。何なら場面緘黙児関係も読み漁った。セミナーにも参加してみたが、ほぼ女性しかいなかった。
個人的な意見だが、世の中からは「個性」「適性」「特性」という言葉は消えるのかなと心配になった。少し躓けばもうラベリングが始まる時代なのか。
これだと幼少期の僕も間違いなく非定型発達児になるし、そんな人間はゴロゴロいた。
当時は個性で今は診断がつく時代なのか。
世の中から「おおらかさ」が抜けて来てるのかなぁと漠然と感じた。
1日で持ち直した娘
学校が怖いと休んだ日、娘と色んな事を話しました。
- 何故、怖くなったのか?
- 何が原因か?
- どうすれば行けるか?
娘はしっかり自分の言葉で答えてくれました。そして「全部出ないと駄目って考えると何か怖くなる」と自分の内側の感情を言葉にし、「1つだけ抜け出していいなら大丈夫」と解決策も出しました。
OKだ、ベイビー
元々は「3学期からは全て出る」という約束だった娘。約束の履行を優先する親もいるかもしれませんが、僕は「自分で問題を把握し、解決策を出した」というプロセスをこなしたことを素直に喜びたい。後は行動できるかどうか。
キチンとフォローができるかどうかが後々の人生において重要になるはずです。少なくとも僕はそう学びました。
なので、娘の提案を受け入れる事にしました。
やってみせろ
そして娘は翌日からキチンとやってみせた。
愛してるよラブリー!
大丈夫だ、娘はしっかり成長している。もう暫く僕の財布が寂しくなるだけだ。
余談ですが、祖父母の反応は以下の通り。
約束は守らせなアカンがなー!
>>次は「何か安定感が出てきた」