【不登校伝記(2年2学期):10章】2学期を振り返る
[最終更新日]2021/03/21
娘と共に歩んだ2学期を振り返ろう
総括をする
本格的なクラス復帰を果たすべく動き出した2学期。肝に銘じていたのは「無理はさせない」という点でした。
大前提:2学期は3学期への礎とする
1学期の終わりに順調にクラス復帰をしていた娘を見て、周囲は「この分なら2学期は大丈夫だね」という楽観的な空気となっていました。僕以外は。
そんな訳あるか
1学期で学んだ教訓。それは娘は「既に頑張っている」という事です。娘自身すらナチュラルハイで気付いていません。「できた」から「じゃあ次行こう」では無く「できたを日常化する」段階を踏まないと、簡単に崩れる砂上の楼閣が仕上がります
2学期は3学期に向けての礎。完全復帰は3学期だ。
これはブレない基本軸として決めました。
手綱を握る事
成長の階段を上る娘はドンドン前に進もうとします。「鼻息が荒い」のです。
フン!フンフン!!
それを止めずに1学期は失敗しました。子供は自分の状態を全く把握できていません。
「常に一歩前へ!」と突き進もうとする娘の手綱を握る事。
ドードードー
それも2学期は大切にしました。目の前の変化は所詮は「戦術的」です。親が見るべきは常に「戦略的」であるべきです。
基本的には止めないが、止めるべき時は止める。そして止める時は必ず半歩手前の代替案を提案する。
それを心掛けていました。
抜けた時間は親子の時間に
2学期始め、娘は「国」「算」を抜けました。その時間を「勉強すべきだ」とする人は多いと思います。正論です。祖父母もその意見でした。
皆は勉強してるんやぞー!
ですが、シングルファーザーの僕はこの「貴重な時間」を勉強に使うのは勿体ないと思い「沢山のお喋りの時間」として活用しました。
- 公園でお喋り
- カフェで飲み物
- パン屋さんでモグモグ
- オムスビ屋さん開拓
- ドライブ
せっかくイレギュラーな時間を過ごしているのです。どうせなら「イレギュラーな時間」のまま過ごしたいと思いました。ここで勉強なんて「当たり前過ぎる」と感じたのです。
但し、仕掛けは仕込む
娘と2人、何もしていない訳ではありません。何かをするのは全て娘です。初めてのお店で商品を選び、レジに運び買い物をする。レジの人から話し掛けられる。それ自体が「社会見学」という認識です。
沢山の初めてに触れて、刺激を受ければいいと判断をしました。
批判は親が受けましょう。いいんです。決めたんですから。
せからしかー!
僅か50分程度ですが、親子の時間を満喫できた2学期でした。
娘が辛い時は受け入れる事
これは絶対です。
順調にクラス復帰をして、毎日学校に行き出すと保護者は必ずこう思います。
このまま定着して欲しいな
これが危険です。揺り戻しが起こった時に問題の火種になります。
昨日まで行けてたやん!頑張りや!
これはもう「振出しに戻りたくない」という保護者の願望を押し付けているだけです。これが原因で二次障害に至るケースが本当に多い。
不登校は右肩上がりの上下振幅パルスです。揺り戻しが起こる前提でいるべきです。娘も時々起こりました。
それが出た時に受け入れる事。決して「頑張れないか?」なんて背中から銃剣で突かない事。
意思表明の時点でもう頑張っているのです。
ここを理解できていない親御さんが多いのでもう一度繰り返します。
ちょっと今日しんどいかも
この発言だけで「大した頑張り」なのです。「休みたい」なんて言ったら親がどう反応するか。それをわかった上で「本当にしんどい」から勇気を振り絞って意見表明をしているのです。
よし、くら寿司でも行くか
くらいの対応で良いと思います。
テーマを決めておくと楽
僕が2学期で注意したのは「切り替えに何日掛かるか」です。1~2日で切り替えができて復帰になるなら問題無し。それ以上掛かるなら一緒に原因を探っていこうと決めていました。
幸いな事に娘の場合は1日遊んだら翌日には復帰という感じで済みました。実際に休みを取ったのは何回だろうか。1~2回だった様な気がします。2学期は本当に休みませんでした。
娘は父を試したのかも
今になって思うのは娘の休憩は「試し行動」だったのかな?という事です。休憩の気持ちもあったと思いますが、それ以上に「自分の意思を尊重してくれるか」の確認がしたかったのかもと。
「辛い時は休んで良い」と口では言っていても実際にそうなのかどうか。それを娘は確かめたかったのではないかと。
ホンマに休んでええんや
そう安心した娘は「切り札」を手にして学校へ行っていたのでしょう。
本当に安定感の増した2学期でした。
【不登校伝記(2年2学期):完】
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