4.学校に任せる
[最終更新日]2021/03/21
4.学校に任せる
効果測定:★★☆☆☆(2)
(注)学校には本当に色々と取り組んで貰えました。ですが、組織としての限界は「十分レベル」のかなり手前にあるという事です。
娘の不登校・行き渋りを経験して心の底から感じた事。それは「学校に任せていては駄目」という事です。
「学校に任せては駄目」「学校が頼りない」という意味ではありません。「親が学校に任せていては駄目」であり「そもそも、学校はそういう場所ではない」という事です。
学校の役割※僕の主観
学校は「定型発達」の子供達を導く専門施設です。
そこから零れ落ちた「グレーゾーン」「発達障害」に関しては同じ子供でも完全に専門外となります。「扱い方を知らない」のです。文科省から降りてくる「資料」や「セミナー」には出ているかもしれませんが、圧倒的に「その経験」が足りていない。先生、学校もまた手探りなのです。これは恐らく一生手探りのままです。そこまでの余裕が無い。
僕が見た限り、ちょっとやんちゃな子供達への対応すら慣れていない。それはこの目でずっと見ていたので確信しています。許容(母性)が必要な子達に指導(父性)で向き合っている。結果的に子供の反発を自ら作り出すという悪循環に陥っていました。
これは「イジメ問題」を教育委員会に任せてはいけない事と同じです。「不登校・行き渋り」を学校に任せてはいけないのです。何故なら専門外・業務外だから。
これは保護者が覚えておくべきです。学校の教員は「定型発達」の専門家であると。
僕が見た学校の姿
法的には違うかもしれませんが、実質的に学校はあくまで「定型発達」の子達への教育と統率が業務です。発達障害なら支援学校か学内で指導員が対応します。それはもう「学内であり学外」です。子供は「自分の世界」を生きている。そして登校渋りや不登校児は「第三勢力」みたいなもの。学校は三国志みたいな状態でした。
僕が何より感じたのは「SC-指導員ー教員」の一体感のなさ。ただ、これは学校によって違うかもしれません。
僕が思うに「不登校・行き渋り」も本来は「それ専用の人材」が必要なのです。ですが、現状は週1回の非常勤SCがその役割を担い、更には子供が学校に来ていない以上は保護者との面談以上の事ができません。親のカウンセリングはできても、肝心の当事者との接点が無いのです。仮に接点があっても「週1回」です。
この仕組み自体がそもそも問題を解決できる形になっていません。これで解決するのは相当な軽症です。
じゃあどうしたらいいのか?
わしらや、わしら。親がやるんやがな。
子供と1対1で向き合える私達親が積極的に対応し、状況を変えていくべきです。「待つ」にも色んな形があるという事です。
答えは辿れば辿り着く
どうしてこうなったのか?思い当たる全てを辿りましょう。それでも思い当たる節が無い場合。その場合は「カウンセラー」に話を聞いてもらって下さい。専門家はすぐに気付くと思います。そして、気付けていない、下手をすれば「蓋をしている」自分を自覚しましょう。それがスタートラインです。
僕の場合は「父子分離の準備不足」だったと結論付けました。保育園、1年生、学童保育と順調に成長していた「様に見えた」娘は「一生懸命頑張っていた」だけです。それに気付けず「これなら仕事を戻せる」と少しずつ仕事を増やしていった僕。
娘が行き渋りを本格化した時は奇しくも僕が仕事のペースを上げていった時でした。そしてその時、確かに娘はやたら「一緒に遊ぼう」と寝る前にねだってきていました。一緒に遊んでも「勝ちたい」娘はルールを突如変更します。だから僕は「ズルするならやらな~い」と娘の行動を理由にして早く寝ようとしていた。そして行き渋りが起こった。
必ず兆しはある
娘の「遊ぼう」がいつもと違うのは気付いていました。でも、それがまさか「不登校・行き渋り」になるとは全く思わなかった。そして見逃した。それが全てです。
僕は拾い上げられなかったのです。娘からのメッセージを。
過ごす時間は同じでも、僕の意識が自分では無く仕事に向き始めているのを感じ取り「孤独感」が一気に育ったのだと思います。
娘の世界はまだ「父と娘」が殆どだったのです。その端に「保育園」や「学校」「学童」が少しだけあった状態。
だから、娘が少しずつ僕から離れても大丈夫な様に「今、不足しているもの」を学校の外で補う方向へとベクトル修正をしました。何故ならそれは「学校でするべき事」でもなく「学校でできる事」でも無いからです。
- クラスの人間関係
- 担任との人間関係
これで躓いている子は学校にはすんなり入れると思います。空間では無く「特定個人」に対する拒否感だからです。入れないのはあくまで「特定個人がいる空間」です。だから別室登校は簡単でしょう。
そうではなく正門が大きな壁となっている場合、それは「良くわからない何か」がブレーキポイントです。そしてそれは「学校で何とかできるもの」ではない事が多い。親としての「伝え忘れ」があるという事です。
そんなはずはない!
と頑なにならずに「何を忘れてるんだろう?」と冷静に振り返り、学校では無く親子の日常でそれを補えば回復はあっという間です。
それを補った時、「クラス復帰」をするかもしれません。逆に「やっぱりこの学校は嫌だ」になるかもしれません。どちらにしても子供は間違いなく成長していますからそれでいいじゃないですか。
大事なのは「学校へ行く」でも「クラス復帰」でもありません。「1人前の人間にして世の中に送り出す」なのですから。