小さな約束の重さ。
[最終更新日]2021/03/24
ざっくり言うと
- 子供が約束する相手は大抵「親」である。
- 子供の世界は狭いので「しっかり覚えている」
- ここで約束を破ると「大人は嘘つき」となってしまう気がする。
ゴーマニズム宣言で見た「一コマ」
小林よしのりさんの漫画、「ゴーマニズム宣言」で物凄く気になった一コマ。
色々な前フリがあって、最後に出てくるのが
「子供は小学生になる頃には大人が嘘つきだと知っている」
というもの。
ここまではっきり思っている小学生は流石に少ないと思います(思いたい)が、僕自身、大人が言っている事と行っている事の「矛盾」は一年生の頃には感じていて、ずっとモヤモヤした違和感を抱えていました。
原因は親の
- 「適当な返事」
- 「曖昧な返事」
- 「空返事」
- 「約束不履行」
なんて書くと結構大袈裟ですが、実際の行動としてはもっとわかりやすくて
- 「え?そうだっけ?」
- 「う~ん、多分そうなんじゃない?」
- 「え?そんな約束してないよ?」
- 「ゴメン、忘れてた」
- 「ゴメン、○○で遅れた」
- 「今回は諦めて次にしよう。だって雨だし」
といった、主に「約束不履行」だったでしょうかw
自分が行きたくないだけなのに、天気や混み具合、果ては僕の体調などを建前にしてやんわりと逃げられたりしていました。
いざ自分が大人になると、同じ事をしたくなるし、言いたくなるのですが、当時の僕が思っていた、感じていた感情もはっきり覚えているのでそうはいきません。
- 「約束したのに何で?」
- 「約束は守らないと駄目なんじゃないの?」
- 「何かおかしい」
大人がウソつくはずない、ズルするはずないと信じていた僕にとっては理解不能な出来事だった事だけは確かです。 そして僕も段々と成長するにつれて
- 「どうせこうなると思っていた」
- 「まぁ当日にならないとわからないな」
- 「だって母さんだし」
と段々と約束を信じなくなっていたような気もします。
「うちの母さんはこうだから」なんて笑い話で済ませていましたが、これって部分的とはいえ、「信頼関係」にヒビが入っているのとそう変わらないんじゃないの?と思うのです。
子供が親から自立していく過程といえば聞こえはいいのですが、どうせなら立派で誇れる親の背中を乗り越えたかったなというのが今の本音ですw
やっぱり、「俺の親すげーー」と思っていたいので。
子供の世界は狭い。「親との約束」は世界の大半を占めるかも
子供にとって親は特別である
子供は良く見てるし、良く覚えています。
大人はそれを「子供は凄い」と表現したりしますが、子供の社会はとても限定的で狭いので「それ以外」に考えたり覚えたりする事象が無いだけかと思います。
一方の大人は考えないといけない事が沢山あるので、次から次へと忘れてしまう。
この差だと思うのです。
なので子供とはっきりと交わす「約束」は結構重たい。
特に「お迎えの時間」が重たい。 「たかがお迎え、されどお迎え。」 大人にとっては「些細な事」でも、子供にとっては「人生を左右する事」と成り得るのです。
土日保育のお迎えは中々タイト
土曜保育を使っている我が家の場合、時々人数が少ない日があります。
そんな時、娘はやっぱり「早めの迎えがいい」と言ってきます。
仕事がパンパンの場合は無理だと伝えますが、何とかやり繰りできそうと判断した時は、娘の希望を受け入れるようにしています。
これが結構キツイ。
娘は数字が段々わかるようになってきて、細かい時間を指定するようになってきました。
昔のように「○時~○時の間には来るぞ」が通用しません。
「○時○分に来て」と要求してきます。
そしてその自分の選んだ時間を、余程の事が無い限り譲りません。
僕も、無理なときには無理だと伝えて娘にそれを受け入れてもらっている手前、僕が何とかなりそうならと娘の要求を受け入れるのですが、結構タイトになる時があります。
でも、それは完全に「大人の都合」であって娘には関係の無い話。
「それなら仕方ないよね」なんて3歳にはありません。
娘にとっては「ウソと約束破りは許さない」と言い続けている父親が約束した事。
守られて当たり前です。 これを一回でも破った時、きっと娘の中にある「父親への絶対的な信頼」に小さな小さな亀裂が入るのだと思っています。
なので僕は何が何でも守らないといけないのです。
でも、本当にこれキツイ!子育てってホントにマラソンだ!
>>次は「教育を改めて考える」