親「もっと頑張れ」→子の生活力向上せず 調査結果発表 (朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース
[最終更新日]2016/12/22
「自分と違う意見や考えを受け入れる」「ナイフや包丁でリンゴの皮をむく」「上手に気分転換する」などを「生活力」と位置づけて、体験活動や保護者の関わりとの関係を見た。
その結果、小4~小6では「よく『もっと頑張りなさい』と言う」など、保護者が叱咤激励(しったげきれい)する度合いが高くても、生活力に違いは見られなかった。一方、保護者が自分の体験を話したり、「山や森、川や海など自然の中で遊ぶ」といった自然体験や家の手伝い、読書などをしたりする子どもほど生活力が高かったという。
分析に当たった青山鉄兵・青少年教育研究センター客員研究員は「保護者の注意だけで、具体的な体験を伴わないと生活力は身につかないということだろう。ただ、体験を積めるかは家庭による格差もある。学校でどう取り組むか検討する必要がある」と指摘する。
via 親「もっと頑張れ」→子の生活力向上せず 調査結果発表 (朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース.
僕も昔、こういったアカデミズムな世界にいた事があるので、一言。
普通の人がこの記事を読んで感じることは「叱咤激励と生活力はベクトルが違うだろw」だと思う。
- 「自分と違う意見や考えを受け入れる」
- 「ナイフや包丁でリンゴの皮をむく」
- 「上手に気分転換する」
果物の皮を剥く、はかろうじてあるかもしれないが、その他の項目に関して「叱咤激励」なんて誰がするんだ? なんて突っ込みはご法度。
本人達は大真面目なのだ。
これが僕がアカデミズムの世界から離れた理由。
根本的に何かズレとる。
研究職は「蛸壺」とは本当に良くいったもので、論文の為のデータ取り、論文の為の推敲と結論など、「何の為の研究か?」と考えてしまう事が多々あった。
この研究を社会の為に役立てたい、とは誰もが口にする言葉ではあるが、実際の行動が全く的外れなのである。
何か、この世界ってやっぱり変わらないなぁ、、、と思わず感じたので書いてみた。