勝手は子供か親か
[最終更新日]2018/01/01
ざっくり言うと
- 五歳になって動きが益々激しくなっていく。
- 疲れたからと娘に配慮を一方的に期待してしまった
- 有り余るエネルギーを抑えるよりも、発散させてあげよう。
五歳になって動きが益々激しくなっていく。
最近、娘が自分の自転車での送迎を希望する事が増えてきました。
正直、夜のお迎えは結構キツイ。
娘の自転車を引っ張りながら、早歩きでも30分ちょっとかかる。
そして、そこから自宅までは更にかかる。
しかも途中の公園で娘は寄り道をするので更に時間が掛かる。
帰宅をしたら大体9時あたり。
ご飯を食べてお風呂入ったらもう10時前になる。
そんなお迎えを数日過ごしている時に、ふとこんなことがあった。
疲れたからと娘に配慮を一方的に期待してしまった
娘との帰り道は帰宅ラッシュの時間に重なります。
僕が住んでいる町はかなり歩道が広い町なんですけど、それでも暗闇の帰宅ラッシュとなるとそれなりの交通量となります。
僕はもう娘が5歳にもなったし、もう危なくない様に振る舞えるだろうと思っていました。
流石に状況を理解して行動できる年齢だろうと。
甘かった
口では「わかってる」と言うのですが、全く行動が伴っていない。
実に危うい。(本人はできてるつもり)
「何でそれができない」
もう勘弁してくれ、と思わず天を仰ぎたくなったときにふと思ったんです。
あれ?考え方が変わってないか?と。
自分の感覚が変わっている事に気付いた。
僕はほんの半年前くらいまでは娘と自転車で出掛ける時、保育園への送迎の時も、僕が周囲をマメに確認しながら娘に自由にさせていました。
危ないな、と思ったら前もって自転車を止めたりと。
それが今は「娘が自分で考えて、ちゃんと動けるだろう(むしろ頼むからやって)」と考えていたんです。
正確には「僕が側にいないんだから、いつも以上に安全に配慮するだろう。それくらいわかるだろう流石に。」と。
疲れていた、というのもあると思いますが、これは「反省すべきは自分だな」と思い知らされました。
何てことは無い、疲れた僕が仕事(安全確保)をサボって娘に押し付けていただけだったんです。
有り余るエネルギーを抑えるよりも、発散させてあげよう。
娘の危なっかしい運転を見て「運転が傲慢になってないか」と正直感じました。
でも、それは傲慢とかではなくて
「自分の足でドンドン自転車をこげるからドンドン漕いだだけ」
という自分の成長を楽しんでいただけなんだろうなと、今は思います。
実際、以前は僕が押していた坂を1人でドンドン漕いでいくので僕も驚いた。
一番驚いたのは多分本人だったと思います。グングン前に進むぞと。
そのスピードに追い付けずに、後ろから追いかける形になった僕が娘に勝手に配慮を期待した。
僕もまだまだでした。
娘はまだ5歳。まだまだ子供も子供です。
楽しい事があれば、もうそれしか見えない。
娘の自転車のスピードは倍近くに上がりましたけど、根性入れて並走していこうと思います。好きなだけ全力で漕げるように。
子供の自転車を1人で行かせちゃいかん。目で追ってもあんまり意味は無いです。
咄嗟の状況では子供の耳には何も届かない。
わかっていたはずなのに、ついつい甘えが出てしまいました。
また一つ勉強になりました。
おっさん頑張ります。