「ひとり親の子育て」を読んで Vol1
[最終更新日]2017/12/23
気になっていた本をやっと読めました
実は前から気になっていた本がありました。
学校の先生は頼れない
「周囲の助けを借りる」という文脈で「学校の担任」があげられていました。自分がシングルであることを打ち明けて「色々と大変なので少し気を配ってあげて欲しい」というもの。
これは個人的にはしちゃ駄目だと思います。これをしてしまうと
- 「別居中なので」
- 「単身赴任中なので」
- 「共働きで遅いので」
- 「祖父母と同居がうまくいっていないので」
といった要求まで何でもありになってしまう。周囲からはただの依怙贔屓にも見られかねません。
それは結果的に「あの子はひとり親だから」というレッテルを自動的に貼る事になります。
本の中に後述されている「スクールカウンセラー」は正にそういった生徒の悩みに応える窓口です。子供がどうしても心配なのであれば、担任ではなく「スクールカウンセラー」に自分で挨拶とお願いに行きましょう。
死の受容の段階は「離婚」「理不尽」にも当てはまる
本の中に「死別の場合」の例で「死を受け入れる際のプロセス」として以下のものがあります。
- 否認:そんなバカなという事象の否定
- 怒り:何で俺が!というやり場のない怒り
- 取引:自分の変化と引き換えに望みを叶えたがる
- 抑うつ:変わらない現実に心身が疲弊する
- 受容:現実を受け入れて前に進む準備が整う。前向きに現実を受け入れる
このプロセスは何も「死別」に関するものではありません。全ての「辛い」「受け入れがたい現実」にあてはまります。
- 離婚
- 慰謝料の請求
- 養育費の支払い
- 面会権の不履行
こういった出来事もまた同様のプロセスで受容に至ります。だから何だと言われたら何でもないのですが「これが人間」という事なのでしょうね。
親子の役割が逆転していないか
本の中では以下の様な事が例となっていました
- 「親が子供に愚痴る」
- 「親が子供に相談する」
本来は子供が親にすべきものを親が子供にしてしまう状況を指すようです。
僕はもっと沢山の事例があると思っています。
要は「戦力として扱う」という事です。
- 下の子の面倒を上の子に任せる
- 家事を任せる
- 炊事を任せる
- 洗濯を任せる
- 掃除を任せる
これは本来「子供が親にやってもらう事」ばかりです。それを「しっかりするから」とか「自立が早くなるから」という理由で子供にさせている親は多いと思います。
本当の理由は「楽したいから」ですよね。任せると自分が楽できるから。
日常のルーチン作業の戦力にした時点でもう「同列の立場」になっているのです。僕はこれはすべきでは無いと思う。
- 親の役割は子供の尻拭い、後始末、そして面倒を見る。つまりはありのままを認めて受け入れる事
- 子供の役割はやりたい放題やること、その中から沢山の経験を積み重ねる事。
子供の時代は「親の庇護を受ける」という人生最大の経験をする限られた時間です。その時間を奪うべきでは無いと僕は思います。
この時期の経験が不足している事が子供にとって最も不幸な事だと僕は思っています。経験が人を育てると考えているからです。
シングルファーザーは聞き役に徹しよう
これ女性の扱い方と一緒ですよね(笑
男はとかく「解決策」を提示しがちですが、女性は「話をする事」自体が重要なので答えなんかどうでもいいという(笑
子育てにおいてもそれは同様で
- 檄を飛ばす
- お説教する
- バカにする
- 良し悪しのジャッジをする
こういった相対的な表現はNGとされていました。僕もそう思います。これは結局「優劣」を前提にした物言いだからです。
「その2」もあります。
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