ひとり親の「休日」とは休日では無いのだ
[最終更新日]2022/11/02
週末や祝日といったお休みの日。
親にとっては「待ってました」の日となるが、
子供にとっても「待ってました」の日である。
平日は我慢しているが、この日は親と遊べる自由な日だからだ。
だが、休みの日というのは親からすると「やっと休める」という休息の日でもある。休みに「家事」をまとめて行う家も多いはずだ。
私個人にとっては「ゆっくりと仕事ができる」と平日ではできない仕事が自由にできる自由時間である。
だが、ここで問題が生じる。
親子間の認識のギャップだ。
親子それぞれに「特別な日」には違いないが、
- 子供:親子で遊べる日
- 親:自分の時間が持てる日、家の事をまとめてできる日
定義が違うのである。
優先すべきはどちらか
迷うまでもない。
子供の定義だ
子供を満たす。それが我々「ひとり親」に与えられた至上命題である。
では自分の気持ちはどうすればいい?
「今は」我慢だ
別にこれが一生続く訳じゃない。子供はいずれ自立する。気持ちが段々と親から離れていく。
そうなった時「一緒に遊ぼう」と誘っても無下にされてしまうのだ。
「は?何で?何の為に?」と(悲
今は「己」はお休みでいいのだ。
どうせやってくる「ひとりぼっちの時代」に存分に「己」を開放してあげよう。
それまではたまにできる「ご褒美タイム」をうまく活用すればいいのだ。
我々は自分の時間を持てない訳じゃない。ちょっと少な目なだけだ。
我々ひとり親は「自分の時間が持てない」と嘆きたくなることも多い。
だがしかし、それは離婚した時点でわかりきっていた事なのだ。
まぁそうだよな。と納得した方が早い。
一生続く事じゃない。
あくまで「今は」我慢なのである。
掃除や洗濯のタイミング
休みの日は子供との時間を最優先にする。
なら掃除はどうするんだ?
必然的にそうなります。
子供が保育園までは「遊ぶ時間」を最優先にしていたので子供が寝ている間に全て済ませていました。
ただ、娘が小学生に上がったくらいかな。あんまりはっきりとした時期は覚えていませんが「個人」になりつつあるタイミングで娘の起きている時間に切り替えた様な気がします。
理由は「生活を見せる為」です。
1日の生活は仕事や料理以外にも沢山の要素で成り立っている事を感じてもらいたいから。
ここで1つだけ徹底したことがあります。
娘の役割は作らない
僕の用事を見ている娘は当然「私もやりたい」と言います。
お手伝いとして楽しんでもらう事、その中で覚えていってもらう事は大切にしましたが、それを「担当」にする事だけは徹底して避けました。
これはもう僕の拘りです。ただそれだけ。