父子家庭のトイレトレーニングは「友達任せ」でいいと思う。
[最終更新日]2017/07/30
ざっくり言うと
- 父子家庭にトイレトレーニングの時間は余り無い
- 個人的には「トイレトレーニング」より「遊び」が大事。
- 「○歳でそれは可哀想」という声は大人の「恥ずかしい」が根源ではないか
完璧にオムツから卒業する日。
「オムツは自然に取れた」では基本的に日中のトイレ(特におしっこ)をどう克服したのか、という点について述べていました。
その壁を乗り越えた次には「夜のオムツからの卒業」という新たな壁がやってきます。
この壁は父子家庭である自分にはとても高い壁でした。
というか今もまだ登っていません。※2016/06に無事登頂しました。チャレンジして初日から無事にクリアーでした。まさに案ずるより産むが易しw
平均的には3歳くらいまでで取れるケースが多いそうなのですが、ひとり親の場合はそうもいってられないと思います。
何せその時間が惜しい。
トイレトレーニングの優先順位がそんなに高くないのです。
そんな時間があるなら、少しでも娘と一緒に遊んでいたい。
僕は普通にそう思っています。
我が家の目標は「小学校の就学前まで」です。
ちなみに「3歳までには」という理屈の根拠が僕には未だにわからないです。あれは本当に無意味だと思う。というか育児においてそういうの多過ぎる。
大人の「恥ずかしい」に振り回されなくて良い。
我が家の娘はもう3歳になりましたが、未だにウンチはオムツ。
夜もオネショ対策でオムツです。
ただ、日中のオシッコに関しては完全にパンツになりました。
ウンチに関しても「ウンチするからオムツくれ」と教えてくれます。
つまり、起きている間は「漏らす」という行為は無くなりました。
なので、僕は「まぁいいか」というスタンスでいます。
まだ3歳なので本格的に自立していく小学生まではまだ時間があるからです。
2歳までに、とか3歳までにオムツは取らないと、という親は沢山います。
むしろ「取れなきゃヤバイ」という意識のママが多い。
実際、僕も三歳でオムツというのを「可哀想に」と言われた事もありました。
何が可哀相なのか僕にはちょっとわからなかったのですが、僕が勝手に考えた結論はこれでした。
- トイレを推奨はする。使い方も教える。それは基本。
- トイレの使い方を知っている上で、敢えてオムツでウンチしたいのなら、それは子供の意思だからそれで良い。
- 「まだオムツ・・・可哀相」と言っている人は多分、「そうなったら自分が恥ずかしい」のだろう。+多少の優越感もあるかも。
- 「オムツを馬鹿にされる」というのはあるかもしれない。傷つくと同時に触発されてトイレ排泄に邁進してもらいたい。
我が家の場合は「2」の状態で「漏らす」という行為は今のところ無い事から、後は「4」になるかもしれないな、という懸念があるくらいです。
ただ、その可能性は娘にも伝えてますし、娘が「いいもーん」と言っているのでよいです。後は現実と娘がどう向き合うかを眺めています。
多少は傷つくかもしれませんが、学ぶ事も多いでしょう。
余談:僕は本当に「○歳で~なのは可哀相」の意味がわからない。
父子家庭で子育てをしていると、この「子供が可哀相」という単語はよく出てきます。
これ多分男性と女性では全く視点が違うと思います。
なので父子家庭のお父さんは要所要所で「(男には)理解が難しい」ママ友の言葉に遭遇するかもしれません。
僕にとっての娘の可哀相は
- 母親と物理的に離れている
- 僕と一緒の時間がまだまだ少ない
- 兄弟がいない
- 虫歯ができる ( 今のところは無事です)
くらいです。
個人的には「1」よりも「3」が申し訳ないと思っています。
本当は兄弟を作ってあげたいです。
でも、僕のキャパから考えても二人を同時に育てるのは不可能です。
上の子が何処かで犠牲になる。
なので本当にどうしようもない。これは本当に申し訳ないと思っています。
でも、僕が出会った「可哀相」は
- 身長が平均より低い
- 体重が平均より軽い・重い
- 運動能力がどうも低い
- 習い事をしていない
等、とにかく「誰かと比較する何か」ばかりでした。
子育てを通じて、僕は色んなことを勉強させてもらっています。